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GYROAXIA シークレットミニライブに思うこと

6月26日に開催されたGYROAXIAシークレットミニライブに関して、思ったことを自分なりに書こうと思います。
私はもやもやと考えていることを文字にすると思考が整理されるタイプのようで、自分の思考をまとめるためと、いつか見返す自分のためにこの文章を書きます。

「私が思うこと」なのでレポではないです。
そもそも私は現地参加していません…!
また、私と違う意見の方を批判するつもりや否定するつもりもないです。こういう風に考える人がいるんだなと意見のひとつとして読んでもらえれば幸いです。

 

あまりポジティブな内容では無いと思います。

現地で楽しく参加された方に水を差したくは無いなと思うので、閲覧は自己責任でお願いしたいです……。

 

 

そもそもこのシークレットミニライブは、2月に発売されたGYROAXIAメジャーミニアルバム「Freestyle」の封入特典として応募券がついていて、150名を無料招待するという企画でした。

argo-bdp.com


行きたいなーとは思っていたけど狭き門だろうな……と感じていて、結局応募券はすべてA賞のシクレライブに申し込んだけど外れました。(B賞はサイン入りCDジャケットで、AかBか選んで応募できるスタイルだった)

当たった人はものすごい数のCDを積んだ方だったり、そうでなかったとしてもご縁に恵まれた方なんだろうなーと思ったし、現地の方のレポが読めたらいいなと思ってました。

その後、ライブが近くなりシークレットミニライブの様子を配信で放送します!という発表がありました。
ライブパートはYouTubeで無料配信して、アーカイブトークパートありの配信は有料で、という案内で……。
正直言うと、私はこの対応はちょっとな……と思っていたし、今も思ってます。「シークレット」という名前を冠するなら、シークレットであるべきだと思うので…。

当選者にとってのシークレットライブの付加価値は、少人数しか観覧できないことのプレミア感だと思うんですよね。
もちろん、現地でしか味わえない生の音に価値を求める人は配信と生音なら価値が違うと考える人もいるでしょうけど……。
「150人しか見られないライブ」と、「150人しか生音が聞けないライブ(配信はある)」とでは、全然違うものだろうなと……。

私はシクレライブに当たっていなかったので、配信で見られるものなら見たいと思っていたし、実際配信のチケットも購入したんですけど、そうは言いながらもこの対応は当選者に対して真摯では無いなと感じていました。

たとえばこのライブの名称に「シークレット」という名前がついていなかったとしたら、もしかしたら配信はあるかもしれない?という予想が出来たと思います。今までのアルゴナビスのイベントやライブは、毎回配信を用意してくださっていたので…。現地150名だけ無料招待のライブ(配信あり)というのも予想の範囲内です。

また、応募する段階では配信があるかどうかわからない(しかも名前はシークレットとついている)ので、観覧をしたい人はA賞に応募する選択をしていたはずなんですよね。最初から配信ありだとわかっていたら(シークレットという名前がついていなかったら配信があるかも?と予想する人もいただろうという前提で)B賞に応募していた人もいたかもしれないし、そもそも配信の可能性があるかもしれないなら、現地じゃなくてもいい、と思う人もいたのではないかと思います。

……なんでシークレットという名前にしちゃったんだ……

150名の狭き門に当選するためにCDをたくさん買ってくれるファンの方って、コンテンツにとってはいわゆる太客だと思うんです。ライブを見たいから、現地に行きたいからCDを積んでくれた、そういうファンの人たちに真摯でいてほしい、という気持ちです。大事にしていないとまでは言わないけど、あまりにも……気持ちを向けていないというか、もう少しやり方があるんじゃないかと思うんですよね。

もちろん新規のお客さんを新しく取り込むことは大事な戦略のひとつだし、YouTubeの無料配信からジャイロに興味を持ってくれる人もいるかもしれない。でも、このライブじゃなくてもいいのではないか?と思います。

おそらく株式会社アルゴナビスとしては、このシークレットミニライブをきっかけに、GYROAXIAのツアーの宣伝をしたかったのかなと思うんですけど…。それはまた別の方法でもできるのではないか……?

というか、最初からこの6月のツアー前のタイミングにミニライブをやる、ツアーの宣伝ができる時期にやるのなら、「シークレット」という名前を冠しなくてもよかったのではないか?と思うのです。

そもそも、この「シークレットミニライブ」の目的は何だったのか?たくさんCDを買ってくれたお客さんに対しての感謝とお返し、ライブのプレミア感を提供することでCDの購買意欲を上げる というのが当初の目的だったのかなと思うんですけど、それが途中からライブツアーの宣伝、新規顧客の開拓にすり替わってしまったのではないかと感じました。

いわゆる古参へのベネフィットの供給から、新規顧客の獲得と参入、ツアーへの誘導に目的が変わっているので、なんだかちぐはぐだし、古参は思い描いていたプレミア感や利益・投資したCDへの対価が薄れてしまったのじゃないかなと…。

ものすごく優しく捉えると、もともとの目的を見失ってしまって、うまくゴールが定まらなかったのではないか、と思うんですよね。

悪いほうに考えると、最初から古参を騙して(わざとこの言葉を使いますが)CDをたくさん積ませて、CDも売れるし配信をすれば新規も参入できるし有料配信も売れれば三方良し、という方針なのかなと

個人的に、私は株式会社アルゴナビスのことを信用しているし、ファンのことをそこまで舐め腐る真似はしないで欲しいなと思うので、やっていくうちに目的がズレてしまったという現実であってほしいんですけど…。得てして社会では進めていくうちに企画の趣旨が変わりがち…

例えばツアーのチケットの売上が芳しくない(なので無料配信で新規顧客を誘導したい)とか、この配信で利益を得ておきたいとか……経営的な考えはいくらでもあると思うんですが…

というかフロムアルゴナビスというコンテンツは海外のお客さんがとても多いので、配信利益はかなり見込めるほうなんじゃないかなと思っていて。

だったら最初から配信する前提で「シークレット」なんてつけなきゃよかったのに……いや本当にもう名付けが一番の失敗ですよ……名前が違ったらもっと印象は違っていたはずなのに

日本は資本主義の国なので、たくさん金を払う奴が偉いと私は思っていて、CD積んだ人がライブに行けるのも当然の摂理なんですよ。だからそういうたくさんお金を払ってくれる人と、無料配信で初めて見る新規顧客を同列に扱ってはいけないと思います。経営をやっている人間ならわかるだろう 頼むわかってくれ

ひとつの企画で古参も新規も嬉しい!という方法はたくさんあるだろうけど、今回のシークレットライブに関しては、CDを積んだ人に対してのありがとうの気持ちでやるライブだったと思うんです。途中から他のお客さんに目移りしちゃダメだと思う。

と、しばらくもやもやとしていて、自分がシクレライブ当たってたらブチギレて株式会社アルゴナビスのお問い合わせにふざけんな……ってお気持ちクレームを送っていただろうなと感じておりまして(やっていません)

ただ、私は当選しなかった人間なので提供される配信があるならいくらでも金は払うし、与えてもらえるのであれば享受します……というスタンスでした。

現金なもので近くなればなるほど配信はものすごく楽しみだったし、しばらく時間が空いて、ジャイロの皆さんがどれだけ成長したのだろうと、その姿を見ることもワクワクしていました。

 

結局、ボーカルの小笠原さんが発熱で急遽ご出演を欠席、それにより配信が中止ということになり、シークレットライブは本来私が「そうするべきだ」と考えていた「現地に行った人だけが見られるライブ」になったのでした。

ただ、コンテンツとして提供したかった本来の演出では無かっただろうし、何よりバンドのボーカル不在という形で、参加された方がCDを購入した対価に釣り合っているかというと、それは参加された方にしかわからないと思うのですが……。

本来の想定では、キャラクターとしてのGYROAXIAのライブ(ライブパート無料配信)、その後中の人のトークパート(この部分は有料配信)という形だったのかなと思いますが、急遽全編じゃいろあくしあ(中の人)での演奏(ボーカルは音源を流す)に変わったようでした。

ボーカル不在でも現地での開催を行うと判断する胆力もすごいな……と思いますし、何よりGYROAXIAのライブで、その決断ができることがすごいなと思いました。

旭那由多のいないGYROAXIAのライブが、存在するのか……と。

 

小笠原さんのご快復を心よりお祈りしているのは大前提ですが、27日に事務所から新型コロナ陽性の発表があり、またうーーん……となりました。

現地でのライブを行ったのは、小笠原さんがコロナではないと判断したからだと思っていたので……。というか、抗原検査とかの結果を待っていて判断が遅くなった(から発表もギリギリだった)のかなと思っていたのですが…。

前日まではライブに向けて準備をされていた様子で、おそらくリハーサルまでは普通にご参加していたのではないかと思いますが…リハをしてたなら歌ってるだろうし飛沫も飛ぶだろうと……であれば他のジャイロのメンバーも濃厚接触者になるのでは……?

ライブ自体はとても盛り上がったようで、参加されていた方々のレポを拝見して、私も大変楽しい気持ちにさせていただいたのですが、それでもなぜ中止という選択肢を選ばなかったのかというところに疑問は残ります。

どんな経緯で現地でのライブを開催するという決断に至ったかは想像することしかできませんが、少しでもコロナの可能性があるのであれば中止もしくは延期すべきだったのではないかと思うのです。もし他のメンバーも感染していたら…。もちろん、ライブ会場でも感染対策はされていると思いますが、演者やスタッフからお客さんに感染し、クラスターが発生したら……ということを考えると、リスクの高い判断だったのではないでしょうか。

というか、ライブ会場でクラスター発生とか、そういうところから自分の好きなコンテンツが話題になるのは嫌だよ……

150人という少ない観客だったからとか、開演まであと少しというタイミングで判断しなければ無かった、いうのも決断要因ではあると思いますし、そのときの小笠原さんの症状や様子から総合的に判断したのかなと思うのですけれども……。

演者さんはGYROAXIAの仕事だけをしているわけではなく、それぞれが様々な場所で活躍をされていて、もしコロナだったら他の仕事にも影響が出るわけで……。その責任を取ることができるのか、という話にも繋がります。

 

どれだけ予防していても感染するときはするし、防ぎようが無いものではありますが、それを拡散させない、最小限にとどめる選択をするのが、選択肢を与えられた立場の人間なのではないかと思うのです。それが選択する人間の責任だと思います。

私もイベントの裏方を経験したことがあるので、今までずっとがんばって企画してきたことを中止したり延期したりする決断って容易ではないことはよくわかります。

今回のライブではもうお客さんも会場近くまで来ていて、やっぱり今日はやめます、帰ってくださいと言う覚悟って、とても大変だと思うんです…。やると決断した覚悟も、やらないと決断する勇気も、すごくすごく大きなことで。

でも、だからこそ中止を選んで欲しかったなという気持ちもあります。

発熱が見られた、という発表で熱中症とか、コロナでは無いものなのかなとか、陰性だからやることにしたのかなと思っていたが…。

その決断は、お客さんに対しても演者に対しても真摯ではないのではないか、と思ってしまいます。可能性が少しでもあるのならその場にいる人たち全員をリスクに晒すことになる。もう少し慎重に判断ができなかったのかとか、高い意識を持った上で判断できなかったのかと、考えてしまうのです。

 

私はフロムアルゴナビスというコンテンツが好きだし、これからも好きでいたいです。どうかファンやスタッフや演者に誠意のある行動をしてほしいです。

配信が見れたらこんなブログは書かなかったのだろうか…。わからないけど、でもシークレットライブという名前にモヤモヤしてたのは変わらないだろうな。

小笠原さんが不在で、GYROAXIAというキャラクターとしてライブをやらなかったことだけは、本当にありがたかったなと思います。旭那由多不在のGYROAXIAは、そもそもライブをやらない……

 

小笠原さん、身体よりもメンタルのほうがキツイだろうな…

GYROAXIA、旭那由多というキャラクターを背負うことの責任がこれほどの重圧なのかと改めて思いました。那由多くんは熱が出ても身体がフラフラでも歌う男だ……。

どうか、スタッフや演者さんも含め、参加された皆さまがお健やかにいられることを願っています。

 

配信見たかったな~~~本当に楽しみにしてたんですよ……

日曜日配信見て月曜日から仕事頑張ろう~!って思いたかった

ツアー仙台、5人揃ったGYROAXIAを見るのが今から楽しみです!!